「トラブルを起こすような人間ではない」は危険な状態か?
こんにちは竹内です。
自分が精神科に行く人間になってからというもの、
嫌でもこれまでの生活を見つめなおすことが多くなりました。
生活に支障は出たので、自分に異変が起きてるのは間違いない。
しかし例えば仮に今の自分の状態を鬱だと言うのであれば、
別にここ最近精神的に明らかな落ち込みを感じることもないし、
ネットとかやってても、ぜ、全然満足してるし、満ち足りた時間を過ごしているし。
もし精神状態異常ならば、自分はここ15年ぐらいずっと異常事態だった事になる。
これは衝撃の新事実です。
自分がよく持たれる他人からの印象として、
自分に関わった多くの人から、「うれしいとか感情表現することあるの?」
と、言われてきました。
言われてきたし、その印象のまま無感情人間を演じ続けてきた感じもしています。
その質問されるたびに顔ひきつらせながら「そりゃあありますよぅ」
みたいな事言ってたと思いますが、
実際の所、本当に感情を開放して他人の前で出したことはないと思ってます。
常にストッパー感じてます。
人前で一切我を出さない人間として、
議論の場でも自分の意見だすよりもとりあえずさっさとその場が終わる方針に迎合。
大体の判断の場で、どうせこんなものどっちを選ぼうが大して自分の人生に関係ないわと言い聞かせながら適当に終わらす。
外では一貫してポーカーフェイスなのに、自分の部屋の中では何もかも変わります。
お笑い番組で異常にでかい声で笑うし、
悲しそうな映画がTVで放映されてたら、
無理やり泣きに行くようにかじりついてちゃんと泣くし、
サッカーワールドカップの試合なんか放送されてたら、
日本代表の試合ですら正直勝とうが負けようが自分にほぼ影響ないのに、
更に自分の人生に影響のないアフリカ対ヨーロッパみたいな試合でのゴールにも異常に喜んでブブゼラ買おうとするし。
(全部テレビ)
結局発散する場を求めているのは自分でも勘づいています。
ブログを書く行為なんてもろにそうでしょうし。
つまり自分の部屋の外では常に自分を抑圧し耐え忍んでいるのですか。
よく報道番組などで、ある犯罪を起こした人について
記者が近隣住民にインタビューして
普段の犯人の印象聞いてるシーンなんかみるんですが、
当然、明らかなトラブルメーカーだったということ言われてる人もいる一方で、
「まったく普通の人だった、信じられない」みたいな印象持たれてるのをよく見ます。
自分の統計だと、こっちのほうが多いと思ってます。(適当)
この後者パターンのインタビュー映像見るたびに、
そりゃそうだろ、四六時中犯罪起こしてたらまともに生きていけないし、
犯罪犯すその瞬間だけ精神おかしくなってんだろとだけ思ってきました。
しかしですよ、その一瞬でもおかしくなってしまうことが大きな問題で、
日々波風を立てず穏便に過ごしている人というのは、
周りから見ると何も問題のない有難い人に見えますけど、
その本人としては実はかなりの犠牲を払いながらその印象を持たれているだけで、
日々苦しい思いをしながらまともな捌け口もないまま過ごしていたとすると、
その人に何が起こるか僕にはわかりません。
見えない頑張りをしている人を評価してあげるシステムを作りたい。
システムってなんだかしらねえけど、
小学校でプログラミングが必修科目になるとかなんだなので負けてられない。
俺はシステムを作りたい。