ネットでの出会いを人に話す恥ずかしさは軽減されたのか
こんばんは、人生は夢だらけ、竹内です。
結婚したいのに街コン中止イベントから何も行動ができていません。
最近だとネットの出会い系サイトだとか出会いアプリとか非常に充実している感ありますね。
そういうのはやったことないんですが、僕には中学生の頃メル友の同い年女子中学生がいました。
今も普通にちょいちょい連絡します。
中学生ともなれば学校内で、古田と内藤付き合ってるらしいぜみたいな
うざってえ会話が行われることもあるし、当時童貞(今も)の竹内としては、
そんな会話が聞こえるたびに劣等感に苛まれながらハイパーヨーヨーに夢中になっている振りをすることしかできませんでした。
当時自分は帰宅後、ちょうど普及されてきたパソコンによるインターネット活動を行うなかで、yahooゲームというサービス内のなんかおもしろいパズルゲームを毎日やっていました。
別に向上心もなく同じようなスコアを出し続ける作業。
そのゲームにはチャット機能もあって、毎日いる人も覚えるし次第にチャットするようにもなって、どうやら自分といつもおなじサーバーで自分と同じようにゲームをしている同い年の女子がいるっぽいことに気づく。
なんやかんやあってその子とメールアドレスを交換する。
隣の県に住んでいるらしい。
こうして、生まれて初めて同世代女子のメアドをゲットした竹内。
この出来事は当時の自分には刺激が大きく、本当に男としてレベルが上がったような気さえしていました。
ただ何か違う、
学校内で付き合っているあいつらは同級生に面と向かってアプローチして恋仲になっているというのに、
俺は顔も見ずに適当になんか楽をして連絡先を手に入れてしまった、
なんか卑怯でなんか違う。学校では女子と会話したことないです。
この何か違うと思ってしまった感覚を今も引きずっています。
何か違うしなんか楽をしたし卑怯な手を使ったけども、
でも俺同い年女子のメアド持っているしっていう事実は時に自信にも繋がっていました。
もしこれで付き合ったら人に彼女のこと話すときどう説明するんだろう。
yahooゲームで知り合ったって言いたくないな。
やっぱり自然に生活圏で自然に運よく好みの人と出会い付き合って結婚したいな。
この感覚って結局当時ネットそのもののアングラ性が今より強かったし、
ネットやってるやつはキモオタだけっていう発想も強かったからなのか。
今だとスマホと共にあらゆるガキどもの間にネットが普及していて、
冒頭にも書いたように出会いアプリなども充実していて、
実は俺が思っているより世界は進みまくっていて、
「かあさん、俺結婚するんだ、相手とはyoutubeのコメント欄で仲良くなったんだ」
とかそういう会話が実は日本各地で繰り広げられているんではないですか。
自分のように不自然な出会いを忌み嫌い自然な出会いこそ至高と考える人もそれなりにいると思いますけど、
近年不自然な出会い発生させる手段が非常に多くなっていると思いますので、
そろそろこの自然の出会いと不自然の出会いを分けて考えている俺みたいな人間が絶滅している可能性もある。
そもそも不自然な出会いが嫌なのは人に説明したくないというそれだけの理由で、
自分にとってはどんな出会いだろうが付き合ってください。